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山を描き続けた求道者!?
朝倉の日本画家 徳田玉龍
朝倉の日本画家「徳田玉龍」
甘木歴史資料館
遠藤啓介 副館長(解説)
徳田玉龍は旧甘木町出身の日本画家で本名は清七郎といいます。明治16年生まれ、京都で日本画を学びました。明治43年の韓国併合に伴って26歳で朝鮮半島へ渡り、名勝金剛山に魅せられ、岩窟に住みながら金剛山を描き続けます。日本では還暦を過ぎてから富士山を描き始め、遺作「富嶽百景」は富士山を様々に描いた巻物で10巻で完成しました。残っている作品数も少なく、謎の多い画家ですが、山紫水明を愛する文人というよりも、修験者のような人物で、甘木歴史資料館では作品の蒐集を進めながら徳田玉龍の人物像を発掘していきたいと話しています。
動画で鑑賞する富嶽百景
富嶽百景 御来迎
富嶽百景 須山富士宝永山
富嶽百景 神龍栖淵
富嶽百景 御殿場
徳田玉龍の遺作「富嶽百景」は実に様々な富士山が描かれています。遠藤副館長の解説で動画でお楽しみください。
作品は随時追加して参ります。
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